DF 伊藤 健太
浜松南部中 出身
中京大学 国際学部
僕は、高校の3年間が今までで1番濃い3年間だったと思います。楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったことなど、このチームで経験した全てが今の自分を作ってくれていると思います。
試合に出れなくて、練習で思い通りにいかず、結果も出ず、どうしていいのか分からなくなったり、正直サッカーをあまりやりたくないと思うくらい苦しい時期もありました。しかし、それを乗り越えられたのは仲間がいたからだと思っています。僕たちの学年は、ずっと1人も欠けることなく活動してきました。そして、部活以外でも全員で遊びに行ったりするくらい仲の良い学年でした。だからこそ自分としても最後までこの仲間と戦いたい、この仲間と結果を出したいという思いが強かったです。
1番心に残っている試合は、区切りをつけると決めて臨んだ最後のインターハイです。コロナの関係で自分が代わりに出場することになったのですが、決勝トーナメント進出のかかる大事な試合でした。前半は、はっきりと覚えていないくらい緊張していて、自分のミスで失点してしまいました。ただ、仲間にも助けられ、試合には負けてしまいましたが、決勝トーナメント進出という最低限の結果は残すことができました。結果的にはこの試合が自分の公式戦最後の試合になったのですが、良くも悪くも3年間の全てが出た試合だったかなと思います。しかし、この大会が終わった後に自分の中での後悔は無かったので、チームの為に最大限尽くすことはできたと思っています。
最後に、湖南高校サッカー部での活動を振り返って一言で表すと感謝という言葉が思い浮かびます。今まで関わってくださった先生、コーチ陣、先輩、後輩、OBの方、保護者の方。また、自分の知らないところでもたくさんの方々が裏で動いて応援してくださっていたと思います。このような支えがなければ、ここまで充実し、成長を感じられる日々を送ることはできていなかったと思います。この3年間を糧に、これから頑張っていきます。本当にありがとうございました。

浜松南部中 出身
中京大学 国際学部
僕は、高校の3年間が今までで1番濃い3年間だったと思います。楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったことなど、このチームで経験した全てが今の自分を作ってくれていると思います。
試合に出れなくて、練習で思い通りにいかず、結果も出ず、どうしていいのか分からなくなったり、正直サッカーをあまりやりたくないと思うくらい苦しい時期もありました。しかし、それを乗り越えられたのは仲間がいたからだと思っています。僕たちの学年は、ずっと1人も欠けることなく活動してきました。そして、部活以外でも全員で遊びに行ったりするくらい仲の良い学年でした。だからこそ自分としても最後までこの仲間と戦いたい、この仲間と結果を出したいという思いが強かったです。
1番心に残っている試合は、区切りをつけると決めて臨んだ最後のインターハイです。コロナの関係で自分が代わりに出場することになったのですが、決勝トーナメント進出のかかる大事な試合でした。前半は、はっきりと覚えていないくらい緊張していて、自分のミスで失点してしまいました。ただ、仲間にも助けられ、試合には負けてしまいましたが、決勝トーナメント進出という最低限の結果は残すことができました。結果的にはこの試合が自分の公式戦最後の試合になったのですが、良くも悪くも3年間の全てが出た試合だったかなと思います。しかし、この大会が終わった後に自分の中での後悔は無かったので、チームの為に最大限尽くすことはできたと思っています。
最後に、湖南高校サッカー部での活動を振り返って一言で表すと感謝という言葉が思い浮かびます。今まで関わってくださった先生、コーチ陣、先輩、後輩、OBの方、保護者の方。また、自分の知らないところでもたくさんの方々が裏で動いて応援してくださっていたと思います。このような支えがなければ、ここまで充実し、成長を感じられる日々を送ることはできていなかったと思います。この3年間を糧に、これから頑張っていきます。本当にありがとうございました。
